情弱になりたくない人の為の情報ブログ X

誰も情弱にはなりたくない筈。でも偏った情報インプットや思い込みで知らず知らずのうちに情弱になっているかも?テレビや新聞の報道を鵜呑みにせず、視野を少し広げて別の視点で考える為のヒントを提供

トルコはなぜシリア北部に侵攻したのか?(抑止力の重要性)

今月(2019年10月)、トルコがシリア北部へ軍を進軍させ、その地域に勢力を広げていたクルド人達の排除に動き出しました。シリアでは元々アサド政権、反政府勢力、クルド人イスラム国(ISIS)等の勢力が入り乱れて戦闘が続いていました。ざっくり言えばアサド政権はロシアが支援、一方、反政府勢力はアメリカが支援していますが、両社で争うよりもまずテロ組織であるイスラム国の壊滅を重視してロシアとアメリカは一定程度の共同歩調を歩んできましたが、イスラム国勢力がほぼ駆逐できたことで情勢が変化してきました。

 

前述のクルド人たち、そしてシリアの北に位置するトルコもイスラム国排除に協力してきましたが、一方でトルコとクルド人は歴史的に反目関係にあり、イスラム国がほぼ壊滅した後はトルコのエルドアン大統領がクルド人の排除に動くのは自然な流れと言えます。ただし今月上旬まではシリア北部(トルコ国境沿い)に米軍が駐留しており、対イスラム国で協力していたクルド人への攻撃を認めない姿勢を示していた為、トルコが実際に軍事行動に移すことはありませんでした。

 

情勢が変わったのはアメリカのトランプ大統領が国内世論を気にして大統領選で約束したシリアからの米軍撤退を強行したからです。即座に米議会や共和党重鎮からも反対の声があがりましたが、少なくともトルコから見れば「米国のトップはシリア北部のクルド人を守る気はそれほどない」と見えたでしょう。トランプ大統領Twitterで「一線を越えればトルコの経済を破壊する」と経済制裁を匂わせて牽制しましたが、米軍撤退の発表から一週間と経たずにトルコは越境進軍を開始しました。

 

状況を改善させるためには米軍がシリア北部に再びコミットする姿勢を見せる必要がありますが、これは従来平和維持のために当該地域に置いていた軍の数倍の戦力が必要になるでしょう。少数の軍を駐留させ続けることがトルコに対する「抑止力」として働いていたわけですが、軍が撤退した後はその「抑止力」が失われ(Twitterは「抑止力」として機能しませんでした)、かつての安定状態を回復させるためには抑止力の数倍のコストをかけなければならない状況に追い込まれました。

 

翻って日本でもかつて民主党が政権を獲得した2009年の選挙の際に、民主党鳩山由紀夫代表は沖縄の米軍基地移設について「最低でも県外」と、結果的に実現しない沖縄県民を騙す発言で国民の歓心を買いました。その後首相に就任した鳩山氏は暫くの間、色々な手段を模索したようですが、最後は「学べば学ぶほど抑止力が必要との思いに至った」として米軍基地の県外移設を断念しました。

 

日本国の首相にもなろうという人間が首相就任前に国家防衛の肝である「抑止力」について学んでいなかったのか?と言いたくなるエピソードですが、当時は日本中がとにかく政権交代!と熱にうかされており、民主党が経験の浅い人達の集まりであろうがなんであろうが関係ない、という雰囲気でした。この点は日本の有権者としては反省しないといけないところでしょう。

 

話を「抑止力」に戻しますが、尖閣諸島を皮切りに沖縄、日本への侵攻すら狙う中国の軍事的脅威に対して、沖縄に米軍基地があるから平和のバランスが保たれているという事です。太平洋戦争の反省から日本は平和を貴ぶ国となりましたが、自分だけが平和を唱えて武器を持たなければ平和が守られるという事は理想ではありますが、現実はそう甘くありません。軍の存在があり、それが「抑止力」となるからこそ平和は保たれているのです。トルコのシリア侵攻はその事を私たち日本人に改めて教えてくれる良い教材ではないでしょうか。

 

軍隊がなければ平和になると主張する人もいますが、少し想像力を働かせて警察官がいなくなれば犯罪がゼロになるかどうかを考えてみてください。警察も犯罪に対する「抑止力」の機能を持っています。勿論警察がいるから犯罪がゼロになるわけではありませんが、では「抑止力」は不要と断言して良いのでしょうか?新宿の歌舞伎町で警察がいなければボッタクリも喧嘩もなくなるのでしょうか?残念ながら人が集団で生活している限り、必ずどこかに対立が発生します。国が存在している限り、紛争や戦争は起こり得るのです。平和を維持して行く為に軍事力を強化する。矛盾しているように聞こえますが、これが現在の世界をバランスさせている「抑止力」なのです。